父と生きる

日本の平均寿命は男性よりも女性の方が長い。

なので単純に私は、母より父の方が先に逝くと思っていた。

自分がアラフィフになり、ある程度は覚悟していたものの、

まさかの母の方が先に逝ってしまった。

 

病に伏した母の介護は想像以上の大変さで、嵐のような毎日だった。

その病の苦しみから、母から出る言葉には胸を締め付けられていた。

父と母は仲が良かったが、母は苦しさで父に激しく当たることが

多くあり、それは気の毒なほどだった。何度も心が折れそうになったが、父は

「辛抱ぞ。お母さんが一番しんどいんやから辛抱ぞ。」と

いつも笑顔と優しさで母に接していた。

 

若い頃に高度成長期を経験した父は、仕事仕事の毎日だった。

趣味は、テニス、ゴルフ、釣り。趣味なのか、付き合いなのか?

休みは本当に家にいることはなかった。

幼いころに一緒にいた記憶はない。

退職後も趣味は変わらず、いつもどこかに行く人だった。

 

その父がどこにも行かずに母の介護を私と一緒にしていた。

何とも不思議であった。

 

 

母が逝った後は、娘の私はやることに追われて感傷に浸る暇はなかったが、

父は肩を落として「寂しい、寂しい、、。どんなに怒られてもお母さんは

自分の話し相手だった。」と言った。

家族を顧みることなく仕事に走り抜き、自分の趣味を何よりも大事にしていた父も

年齢を重ねて孤独を感じているということなのか?

この言葉に私はうつむいた父の顔をじっと見た。そして初めて父に向き合った。

 

母が亡くなり、父には今まで好きなことで培った友人や仲間がたくさんいることを知った。

その友人や仲間に励まされ、寄り添ってもらっている姿には娘として感謝しかない。

向き合うと今更ながらに父を知る。

何より父がこんなに優しい人と知らなかった。

思春期には父が嫌いで何年も話をしなかったし、大人になり嫌いではなかったが、

会話は少なかった。

この優しさを母は一人占めしていたのだろうか?

損した気分である、、。

 

父も高齢になり、物忘れも失敗も増えた。

それを父も私も笑って済ませている。

これからも大変なことも起きるだろうし、喧嘩をするかもしれない。

でも母を思い、不器用に必死に介護した父の姿は、

これからの時間を父と生きていくことも悪くないと思わせてくれている。

 

川内 B棟 山本