春の選抜高校野球  母校に乾杯

 

  はじめまして。川内A棟の小百合です。ブログデビューします。よろしくお願いします。

 

 

    今年の春、私の母校である小豆島高校が、選抜高校野球大会に21世紀枠で選ばれて、初出場しました。 

   これは、普段は全く野球を見ることが無く、高校野球でさえ関心のなかった私にとっても画期的な出来事です。

 

  

     A棟のスタッフの方には、無理を言って勤務を交替して頂き、

   万障繰り合わせて320日の夜、一人で東予港から船に乗って甲子園へ駆け付けました。

 

 

 

 

   オリーブの島からも、船を4隻チャーターして、島民の一割には満たない2000人が夜中から大移動しました。

      「この日、小豆島は軽くなった。」

   という都市伝説さえ生まれています。

 

 

 

 

 

  

 

 

     阪神淡路大震災被災地の長田高校、東北大震災被災地の釜石高校と共に、

     来春から合併により統合される小高が選ばれた事に感慨無量です。

 

  

 

     千葉、京都、滋賀、岡山からと現地集合した同級生たちと、

     ツタの絡まる甲子園で久しぶりに 感極まる再会をしました。

 

     背番号18番

     赤いジャケットで染まるアルプス席の中、

     高校時代に戻って黄色い声援を張り上げました。

 

 

 

     ルールもよく分からず、試合途中に

 

                 「どうして相手チームの走者は勝手に一塁から二塁へ行くの?」

 

     と聞く私に、友人のご主人が

 

                 「あれはピッチャーがお行儀の悪い事をしたのですよ。」

 

     と、〝ボーク″というものを教えてくれました。

 

 

 

 

     選手宣誓をした樋本さんは友人の実家の4軒裏のお子さんですし、

     キャッチャーで四番の長谷川さんは、私がはじめてのおつかいで行った八百屋のМさんのお孫さんです。

     兄の同級生のHさんの息子さん、と縁のある選手が多く、とてもローカルです。

 

 

 

     試合途中でアルプス席のみんなと一緒に校歌や「オリーブの歌」を合唱し、

     この日ために三木先生が作曲されたコンバットマーチ、「トゥギャザー」を聴きました。

 

 

 

 

 

 

    結果は9回裏に一点を返したものの、

   

    勝ちを釜石高校に譲り、

 

    私の青春のようにあっという間の1時間半でした。

 

    けれども、樋本さんが選手宣誓で語った

 

           「当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます。」

 

    という言葉が私の心に響きます。

 

    

 

 

 

    やわらぎの介護でも「日々是好日」を大事にしていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

                                              グループホームやわらぎ川内A棟 

                                                        ペンネーム 小百合